PROFILE

PROFILE

藤波辰爾 TATSUMI FUJINAMI

生年月日/1953年12月28日
出身地/大分県国東市
デビュー/1971年5月9日
身長・体重/183cm・105kg
PROFILE
1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。翌1971年5月9日デビュー。72年3月、新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。同年12月に開催された第1回カールゴッチ杯で優勝し、75年6月に海外遠征へ出発。欧州や米国、メキシコ各国を転戦。カール・ゴッチ氏のもとで修行を積み、 78年1月にWWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得した。81年末にヘビー級転向を宣言。飛龍十番勝負を戦い続け、WWFインターナショナル・ヘビー級王座をも獲得。翌82年10月にメキシコ遠征から帰国した長州力に挑発される形で、ライバル抗争に突入。両雄の戦いは「名勝負数え唄」と呼ばれ、スピーディな展開でヘビー級のプロレスにも変化を与えた。新日本プロレスのエースとして活躍し、95年10月、自主興行『無我』を旗揚げ。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。 06年6月30日付けで新日本を退団し、同年8月に『無我ワールド・プロレスリング』を旗揚げ。 08年1月より団体名を『ドラディション』へと変更した。11年5月にレスラー生活40周年、 13年には還暦を迎え、 15年3月には日本人選手2人目となる (一人目はアントニオ猪木) 米国 WWEの殿堂入りを果たした。 現在も、 他団体に積極的に参戦するなど、現役選手として活躍中。 21年9月17日にはHEAT-UPとどろきアリーナ大会でのHEAT-UPユニバーサル&PWL WORLD王座の2冠選手権でTAMURAを破り王座を奪取した。21年プロレス生活50周年を迎え、同年10月31日の大阪大会を皮切りに1年を通して記念ツアーの開催が開始された。22年、新日本プロレス1・4東京ドーム大会『WRESTLE KINGDOM 16 in 東京ドーム』第0試合に出場し、さらには3・1武道館の「旗揚げ記念日」では、オカダ・カズチカ、棚橋弘至と組み、藤原喜明、鈴木みのる、ザック・セイバーJr.組と対戦。 22年5月12日後楽園ホール大会はコロナ感染により欠場、自身の代わりに棚橋弘至が初参戦。デビュー50周年ファイナル大会である12月1日代々木では、その棚橋との一騎討ちが決定。